江戸時代は東海道の西の拠点 三条大橋

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京都に一般道を東側から入るには国道一号に架かる五条大橋か旧東海道の三条大橋の二通り。

比叡山麓の山の中を抜ける山中越えという道もありますが、この道いまは慣れた人でないとちょっと怖い。

公共機関を使うなら、JRで京都駅まで行くか、地下鉄もしくは京阪京津線で三条駅までとなります。

三条大橋は江戸時代に東海道の西の起点で、ここから江戸へ向かって、長い徒歩の旅を始めたわけです。

ここを出ると次の宿場は大津宿。今の滋賀県大津市です。

どうでしょう三条大橋から徒歩で3時間くらいでしょうかね。

京都を起点に旅立った人たちは次の大津宿ではなく、その次の草津宿くらいで1日目の宿を取ったのでしょう。

草津にはまだ本陣跡が残っていて、草津市の観光名所になっています。

添付画像は三条大橋。2014年11月に撮影した画像です。

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この橋はシーズンに関係なく、いつも人通りが多いです。

なぜなら、橋を渡るとすぐに三条通りの繁華街に出て、新京極や寺町通商店街、飲食店が多い木屋町通もありますからね。

三条大橋の西端には江戸時代の戯作家・十返舎一九が書いた『東海道中膝栗毛』に登場する弥次喜多の銅像が立っています。

東海道の西の起点を記念するにはふさわしい像ですね。

でもここに弥次喜多の像があることにみんな気付いているのでしょうか?

もしかしたら待ち合わせの場所になっているかもしれない。

橋の下の鴨川沿いはデートスポットですからね。

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江戸時代は処刑場だった

三条大橋がある鴨川沿いは秀吉の時代から江戸時代にかけて処刑場だったんです。

豊臣政権時代は石川五右衛門がここで釜茹の刑にされたし、秀吉の甥・豊臣秀次一族が大勢処刑されています。

関ヶ原の戦いに負けた石田三成が六条河原で処刑されたあと、ここでさらし首にされました。

幕末には新選組の近藤勇が江戸板橋で処刑されたあと、塩漬けにされて運ばれた首がここで晒されました。

維新志士と新選組・京都見回り組などの佐幕派の争いもあったようで、

この近くの木屋町通では佐久間象山や大村益次郎が暗殺されています。

今や恋人たちの語らいの場所になっている三条大橋周辺にこんな怖い過去があったなんて知らない人も多いでしょうね。

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