幕末の跡が残る三条木屋町通り

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木屋町通りは北は二条、南は七条まで南北に走る全長2.8キロメートルの路です。

特に三条通りと交わる辺りは幕末に尊王志士たちが闊歩した場所でもあり、所々にその痕跡を示す案内板が立てられています。

現在はどちらかといえば、夜の歓楽街というイメージが強いです。

夜になると大勢の酔客たちが狭いこの通りを闊歩しています。

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坂本龍馬が隠れ家としていた酢屋

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三条通りから木屋町通を南へ少し入ると、龍馬通と名付けられた通りにさしかかります。

この通りには幕末に坂本龍馬が海援隊の宿舎として隠れ家にしていた酢屋があります。

当時は材木商でしたが、現在は創作木工芸のギャラリーになっています。

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酢屋の店頭には達筆で書かれた案内版が設置してあります。

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龍馬通から木屋町通をさらに南へ進むと、土佐藩邸跡の碑があります。

土佐藩に復帰していた坂本龍馬ですが、土佐藩邸近くの醤油商・近江屋で暗殺されています。

もし土佐藩邸にいたなら暗殺されることはなかったと思うのですが。

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三条通りから北方向には暗殺の碑が

さて反対側の三条通り北側の様子はどんなでしょうか?

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少し進むと、佐久間象山、大村益次郎の遭難の碑が道筋を流れる高瀬川沿いに建てられています。

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佐久間象山は1864年に徳川慶喜に招かれて上京、この場所で尊王攘夷派の志士・前田伊右衛門、河上彦斎らに殺害されています。

余談ですが、河上彦斎は人気コミック「るろうに剣心」主人公・人斬り抜刀斎のモデルになっています。

大村益次郎は1869年、この場所で元長州藩士の団伸二郎、神代直人ら8人の刺客に襲われています。一命は取り留めたものの、敗血症となり2か月後に大阪で死去しています。

桂小五郎(木戸孝允)の妻・幾松(木戸松子)ゆかりの店・幾松

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長州藩士だった桂小五郎(のちの木戸孝允)とその妻・幾松(松子)が過ごした住居跡は現在「幾松」という名の料亭になっています。

松子は木戸が没したあと、京都で過ごした思い出のこの住居で余生を過ごしました。

木屋町通沿いを流れる高瀬川

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木屋町通沿いには高瀬川が流れています。

江戸時代初期に角倉了以・素庵父子によって、京都の中心部と伏見を結ぶために開削された運河で、大正9年まで水運に使われていました。

現在は水底が見える浅い川となって、二条近くにある「一之舩入」と呼ばれる船留に展示用の木船が浮かんでいるだけです。

木船が浮かぶ景色はとても趣があります。

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