東福寺近くにある五大堂同聚院”働く女性の守り本尊”の由緒とは?

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先日、東福寺を参拝した際にたくさんの”働く女性の守り本尊”と書かれた赤い奉納旗を目にしました。

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同聚院土力不動尊

“御開帳土力不動尊”と掲げられた門前に多くの参拝客がいました。

本寺の名称は同聚院。臨済宗東福寺派の寺院で、東福寺の塔頭です。1444年に文渓元作禅師が創建し、本尊は不動明王(重要文化財)です。同聚院は「五大堂 同聚院」とも呼ばれており、藤原道長が1006年に造営した五大堂の遺跡といわれています。

働く女性の元となった日本のシンデレラ・モルガンお雪さん

本寺がなぜ働く女性の守り本尊と呼ばれるようになったのか?

それは本寺を信仰していたモルガンお雪という女性に由来しています。

モルガンお雪とは?

モルガンお雪は明治時代に祇園の芸妓として働き、アメリカの大富豪と結婚したことで有名です。彼女は自分の意思で人生を切り開き、日本とアメリカの文化を橋渡ししました。彼女は京都の同聚院と折上稲荷神社に信仰を寄せ、その縁で「働く女性の守り本尊」と「働く女性の守り神」として多くの女性から敬愛されています。

ジョージ・モルガンとの出会い

彼女は明治35年の春、都をどりの時にジョージ・モルガンと出会いました。彼は失恋旅行中で、京都滞在中にお雪に一目惚れしました。彼はお雪に求婚しましたが、お雪は当時京都帝大の学生と恋愛関係にありました。しかし、ジョージが4万円でお雪を身請けするという話が新聞に掲載されたことで、お雪の恋人は別れを告げました。その後、ジョージは4年間で3度も来日し、お雪を口説き続けました。やがてお雪は彼の誠意に心動かされて結婚を承諾しました。

彼女は結婚後、アメリカやフランスの社交界で活躍しました。彼女は日本の文化や伝統を大切にし、着物や和食、茶道などを紹介しました。彼女は日本人としての誇りを持ち、日本女性が国際社会に通用することを示しました。彼女は夫との間に2人の子供をもうけましたが、夫は1915年に亡くなりました。その後、彼女は子供たちと共にアメリカで暮らしました。

夫の死後、1938年に再び帰国し、京都で暮らしました。彼女は京都でカトリック教会や慈善活動に関わりました。彼女は自分の名前にちなんだ白バラ「ユキサン」を愛し、同聚院に植えました。

彼女は1963年5月18日に京都で心臓発作により急死し、同聚院に埋葬されました。彼女の墓石には「モルガンお雪」と刻まれています。

【公式】京都 五大堂 同聚院(どうじゅいん)
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