11月23日に山科から旧東海道を歩いて京都方面へ向かう途中に、
「五条別れ道標」を見つけました。

以前、車で京都へ行く際に、三条通りで「五条別れ」の標識を見たことがあるのですが、”別れ”という言葉の響きに、過去に何か哀しい謂れがあった場所なのか?と思っていました。
調べてみると、関西では”別れ”という道の名称は主道路から脇にそれる道のことを言うのだそうで、特に哀しい謂れがあったわけではなかったです。
五条通りへ向かうための分岐点の道標ということです。
京都市情報館サイトによれば、この道標が建てられたのは、幕末の宝永4年(1707)で,東海道を大津方面から来た旅人にとって,五条・伏見方面への近道を示す役割を担っていたそうです。
道標には
左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛今ぐまきよみず道
右ハ三条通
と刻まれていて、五条大橋方面へ行くなら左方向へ、三条通りへ向かうには右方向へ。
「ひがしにし六条」は東本願寺、西本願寺。
「大佛」は方広寺の大仏(現存していません)。
「今ぐま」は今熊野観音寺。
「きよみず」は清水寺。
それぞれ表しています。
歩くことで、こんな史跡も見つけることができました。
京都は歩くたびに新しい発見がありますね。
旧東海道と並行して走る三条通り。現在はこの道が主幹道路です。向こう側の山は音羽山。

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