久しぶりに三井寺境内を散策してみた~仁王門、金堂、三井晩鐘

三井寺仁王門 寺院
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コロナ禍でカメラをぶら下げて散策するのを控えていましたが、久しぶりに近所にある園城寺へ出向きました。

園城寺という正式名称より、三井寺と呼んだ方が馴染みが深いお寺さんです。

2月11日でまだ冬の只中。それでも春の気配は近づいてきていて、今日は比較的暖かさを感じます。

三井寺のシンボル仁王門(大門)

三井寺に入口にでんと構える仁王門。正式名称は大門という名称なのですが、両脇に構えた仁王像が特徴なので、仁王門と呼んだ方が馴染みが深いですね。

もともと滋賀県南部石部にある天台宗の古刹常楽寺にあった門を秀吉によって京都伏見に移築され、さらに1601年に徳川家康によって現在の位置に移築されています。

国宝ではなく、重要文化財ということで、歴史の深さから国宝でもいいような気がしますが、重要文化財とされているのはなぜなんでしょう。

文化財保護法27条2項によれば

文部科学大臣は、重要文化財のうち世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものを国宝に指定することができる。

たぐいない国民の宝たるものが国宝で、重要だけどたぐいないとまでいえないものは重要分文化財のままなのかなんて思ったり。

でもこの門は往来に面していて、人の手に触れやすく傷みやすいから国宝ではない方がいいのかもしれいですね。管理が大変だ。

大門(仁王門)を越えたところに受付があってここで拝観料を払います。拝観料は大人600円。僕は大津市民なので、市から送られてくる水道ガス料金のお知らせ書を見せれば拝観料は免除となりますのでこの制度を利用させていただきました。(大津市文化財家族参観事業

国宝の金堂が美しい

金堂

参道を歩いて、手水舎で手を清め、石段を上がると金堂前の広場に出ます。桜と紅葉のシーズンは多くの拝観者で賑わいますが、2月のシーズンオフのため、拝観客はまばら。コロナ禍の影響もありますけど。

三井寺は戦国時代以前に何度も戦火に見舞われたため、現在の金堂は桃山時代に建てられたもの。豊臣秀吉の正室である北政所おねによって再建されたものです。

建築の特徴は三井寺公式サイトによれば以下のように解説されています。

内部は外陣・中陣・後陣に別れ、 中陣は中心となる内陣の両側に脇陣を設けています。
内陣以外の床は全て板敷とするのに対して、 内陣は土間のままとしており、伝統的な天台系本堂の形式をよく伝えています。

http://www.shiga-miidera.or.jp/index.htm

本尊は弥勒菩薩

金堂内には自由に入ることができます。まずは靴を脱いで、堂内に上がります。

金堂に祀られている本尊は弥勒菩薩。

弥勒菩薩とはどんな仏のなのか?

仏像ワールドで調べてみたら次のような解説がありました。

弥勒とは古代インドではマイトレーヤと呼ばれ、慈悲から生まれた者を意味しています。仏となることを約束されているため、弥勒仏・弥勒如来と呼ばれることもあります。釈迦が亡くなられてから56億7千万年後に仏となりこの世に現れ、釈迦の教えで救われなかった人々を救済するといわれています。

https://www.butuzou-world.com/dictionary/bosatsu/mirokubosatsu/

菩薩とはまだ悟りに至っていない準備段階の仏様のことで、兜率天(とそつてん)という仏教の世界の中でまだ修業を続けておられる状態なんですね。ちなみに悟りに至った仏様のことを如来と呼びます。

弥勒菩薩の真言は「オン・マイタレイヤ・ソワカ」。

ご利益は再び人間界に生まれ変われること。弥勒菩薩を信仰すれば、死後兜率天に入ることができ、弥勒菩薩が56億7千万年後に修業を終えて人間界に現れる際に、一緒に人間界に生まれ変われるのです。

仏教では生まれ変わりは六道(天、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)の輪廻を繰り返すとされており、死んで次に生まれ変わるのがどこなのかわからない、畜生、餓鬼、地獄で辛い思いをしなければならないかもしれない。弥勒菩薩を信仰することで、人間界への復帰を約束されるのです。

堂内は仏像を観ながらぐるりと巡回できる

金堂内は本尊を囲んでぐるりと巡回できるようになっていて、巡回路脇いにはたくさんの仏像が配置されています。残念ながら堂内は撮影禁止なので画像で紹介できませんが、仏像好きにはたまらない場所となるでしょう。

堂内には札所(売店)もある

堂内には札所が設置されていて、御朱印以外にもお守り、縁起物などを買うことができます。

僕は今年、初詣に行けず、玄関に貼るお札を購入できていなかったので、遅まきながらお札を購入しました。500円でした。

三井寺の名称のもとになった井戸が湧く閼伽井屋

閼伽井屋

金堂の西側に閼伽井屋と呼ばれる祠のような建物があります。

格子戸から中を覗くと、水が湧き出ている井戸が見えます。ボコボコと水が湧き出る音が聞こえている。音の元が本当に水が湧き出ている音なのか音響効果なのかわかりません。

この井戸の水は天智・天武・持統天皇の 産湯に使われたことで、三井寺という名称はこの井戸から付けられたようです。

三井の晩鐘

鐘楼

室町時代に中国湖南省にある洞庭湖の八景にちなんで、関白近衛政家が選んだと伝えられている近江八景。広く世間に知られるようになったのは浮世絵師の安藤広重の風景画からです。その近江八景の1つに三井寺の晩鐘があります。

金堂の南東前にあって、毎夕5時に鐘が突かれます。拝観者でも自由に鐘を突くことができます。有料ですけど。

晩鐘にまつわる哀しい伝説

この鐘には琵琶湖の主とされる大蛇にまつわる伝説が残っています。

漁師の若者が琵琶湖のほとりで子供たちにいじめられている蛇を助けました。その晩に若者のもとに一人の娘が宿を借りに来て、そのまま娘は居付いてしまい、やがて二人は夫婦になりました。

二人に子供が授かり、娘がお産をするために小屋へ籠る。絶対に小屋を覗かないという約束を破り、若者は小屋を覗くと、とぐろを巻いた大蛇が赤ん坊を巻いていました。

娘はかつて琵琶湖畔で若者が助けた蛇の化身だったのです。蛇は目玉を取り出して、この子が泣き止まないことがあったらこの目玉をしゃぶらせるように、また自分は目が見えなくなってしまったので、二が元気でいることを知らせるために毎日三井の鐘を突いて知らせて欲しいと言い残し、若者の前から姿を消しました。なんて物悲しいお話しなんでしょう。

除夜の鐘は108つ突くのが普通ですが、三井の晩鐘は蛇神を慰めるために大蛇の目玉を模した目玉餅を供え、たくさん突けば突くほど福が来るとされ、108とは言わずできるだけ多くの鐘を突くようにしているとのことです。

年越しの夜はたくさんの参拝客が三井の晩鐘を突くために並ぶ姿を見ることができます。

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